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【4期生ブログ vol.1】藍原滉基

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こんにちは。森ゼミ4期生の藍原滉基です。

掲載順がどうなっているかわかりませんが、もし締切日と同じ順番なら自分がトップバッターになってるだろうと思います。
一人目らしく、森ゼミに入った理由や楽しかった思い出、魅力を書くのが無難だとは思いつつも、逆張りをして目立ちたい自分が邪魔をしてしまい、何を書けばいいのか迷っていたら締め切り当日になってしまいました。
悩みに悩んだ結果、最初は体育会生がゼミに入る意義について書こうと思ったのですが、いざ書き始めると体育会生への偏見まみれになってしまい、誰もいい気分にならないかつゼミ選びの参考にもならなそうだったのでボツにしました。聞きたい人がいたら教えてください。
なので、自分からはもう少し対象を広げて、いわゆる文系の学生がゼミに入る意義について、2年間ゼミに所属した経験から感じたことを自分勝手に書いていこうと思います(結局一人目らしいテーマに落ち着いた)。

本題に入る前に軽く自己紹介をします。
東京生まれ東京育ち、出身高校は慶應義塾高等学校です。高校からアメフトを始めて、大学では体育会アメリカンフットボール部に所属しているものの、高校でコーチをしているというなんとも中途半端、わかりにくい立場にいます。
わかりやすくするなら、属性としては内部(半)体育会生だと思ってもらえれば大丈夫です。
また、森ゼミに関係したところでいうと、元々国際政治の知識があったわけではなく(1年生?で受けた森先生の国際政治学基礎はCでなんとか単位を取得した)、かつ海外経験も全くないため中学英語までしか話せないといった、どうしてこのゼミに入れたかわからないようなスペックの持ち主です。
こういう自己紹介をすると、自分のことを低く書きすぎだと怒られてしまうので、余談としてなぜゼミ選考で合格できたのか、あえて勝因をあげるならば、面接において笑顔で大きな声で受け答えをするのが得意だったのと、入ゼミ課題の志望動機や長所短所など何回も書き直して、結果それなりによく書けていたからかなと思っています。
なので、もしこのゼミに入りたいと思ってくれて、課題に挑戦するときは早めに書き始めて何度も書き直して洗練していくことをお勧めします。愛のない手抜きな文章は読んだ瞬間にわかるものだなと去年のリクルートで学んだので。

余談が長くなってしまいましたが、そんな自分が2年間、森ゼミに所属して感じたゼミに入る意義は、「出会い」という言葉に集約されます。
この出会いには二つの粒度があると思っています。一つは組織という単位での出会い、もう一つは個人という単位での出会いです。

まず、組織としての出会いについて。
自分はこのゼミに入るまで、バイトもサークルもやらず、アメリカンフットボール部という閉ざされたひとつの組織にしか所属していませんでした(それも高校からずっと)。なので、ゼミに入って、自分の組織との違いに驚かされました。
あげればキリがないですが、慶應にできてまだ数年しか経っていないにもかかわらず、係の仕事やその引き継ぎがしっかりと文章に起こされて行われており、仕組みとして成立していること。一方でAIの使用を積極的に認めるなど、柔軟にゼミのあり方を変えて、森先生とゼミ生が一体となりより良いゼミ活動ができるように組織が日々進化していること。他にも自分が所属する組織が見習うべきところがたくさんあるなと感じました(自分も含めて時間にルーズであるなど、森ゼミが他の組織を見習うべきところも沢山あるだろうと思います)。
一つの組織に長いこと所属していると、その文化に慣れて自分が入っているのが熱湯風呂なのかぬるま湯なのか、はたまた水風呂なのかわからなくなってしまう時があります。そこで、ゼミという違う浴槽に浸かったことで外から自分の所属している組織を見つめることができた。それこそがゼミに入る大きな意義だったと感じています。
ただ、この意義は活動にしっかりとコミットする必要のあるゼミだからこそ感じられたものだとも思います。活動に参加することが強制されていないゼミ、いわゆるチルゼミでは、そもそも組織として成立しておらず、単なる人の集まりになっているのでこの意義は感じられないかもしれません。

次に、個人としての出会いについて。
このゼミには様々な人が所属しています。それは、単に属性(内部だとか外部だとか、体育会だとかそうではないとか)といったつまらない分け方ではなく、個性という面白くも非常に曖昧な観点で見たときの様々な人です(属性や環境が個性に強い影響を与えていることは承知の上)。
人望に溢れてゼミ生全員から愛されているけど、たまに意図の分からない質問をして皆を困惑させてしまうリーダー、笑顔で相手の論理を破壊して他大学の人にも怖がられてるサイコパス、頭の回転と膨大なビジネス用語の量で圧倒してくる塩顔と、それを鋭い眼差しで静観しているお嬢様、後輩にメロがられる博識な先輩と、頑張って議論を回してるのに冷笑されている不憫な先輩など、4期生だけでも友人に紹介したくなるような人が沢山います。そして、全員にそれぞれの長所があり、短所があります。
だからこそ、(組織としての出会いともリンクしているが、)その人たちと出会い、交流を深められたことで、逆に自分の長所短所が見えてくることがゼミに所属することのもう一つの意義だと思います。就活のために何かをするという考え方は個人的には嫌いですが(何かをした先にたまたま就活というものがあるだけ)、いわゆる自己分析を行う際のヒントになったと感じています。また、就活に関係なく自分という人間を客観的に理解しておくことは、他人から違和感を抱かれにくいという点で必要なことだと思います。
ゼミのアピールポイントとして、人の良さです!と言うとややきな臭い感じがしなくもないですが、ゼミ選考を勝ち抜いている時点である程度の優秀さ(優秀さのベクトルは人によって様々)は担保できているので、人気ゼミ特有の強み、意義になるだろうと思います。

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つらつらと思いつくがままに書いてしまったせいで読みづらい文章になってしまったかもしれませんが、要は、「ゼミに入ったおかげで出会いがあり、その出会いによって自分を改めて見つめ直すことができた。それこそがゼミに入る意義だ。」ということがこのブログで自分が伝えたかったことです。
出会いがゼミの意味なら、別にゼミではなくても他の団体に入ればいいじゃないか。ゼミはあくまで学問を究める場所であり、学びが目的でないのはおかしい。という声はごもっともだと思います。
確かに、本来個人の学びの場を提供するという目的でゼミが存在しているならば、自分はその制度を利用して出会いという本来とは違うゴールを達成した不健全な学生かもしれません。ただ、ゼミに何を求めるのかは個人の価値観や環境次第であり(単位のため、学習のため、コミュニティづくりのため、承認欲求のため、など)、今回書いたこのブログも、あくまで自分が感じたゼミに入る意義です。なので、特に私立文系というゼミが必修ではなく、必ずしも入らなくてもいい立場にあるからこそ、それぞれが何を求めてゼミに入るのかは明確にしてからの方がミスマッチが少なくなるのではと思います。この文章が少しでもその参考になれば幸いです。
加えて、出会い目的というとなんだかよくない感じがしますが、実際大学3年生から新たなコミュニティを発掘していくのはかなり難易度が高く、ゼミにそれを期待することはそこまで不自然なことではないと個人的には思っています。
だからといって、ゼミに入ってから勉強を疎かにしては本末転倒なので、学びを通した出会いこそが、ゼミに入る意義だと結論づけたいと思います。

末筆ながら、自分と森ゼミで出会ってくれた3期、4期、 5期の皆さん、森先生、そしてこの森ゼミという環境に感謝して、このブログを締めようと思います。
ここまで読んでくださってどうもありがとうございました。